日曜の会話

あそこのコーヒー店でお茶した。この前の日曜日でした。おかしな事を話した元夫。

 

父との38、9年前の出来事のようでした。父は昭和57年の2月に77歳で亡くなった。その後5、6年後の32、3年前にぐらいに物凄い運命の渦巻きに巻き込まれていった。

其の頃には日本と近隣国の繋がりをよく知らなかった私でした。

 

 

元夫が話した父との遭遇状況の場面に登場の人物達は近隣国の人だったそうだ。

父は明治生まれの対応をしていたそうだ。

 

アノ人生の転換の始まりは日曜の会話の中の人物達だったのだと私は直感したのです。

 

その頃何だかおかしな人がアノ住まいに訪れた。それはその後がなかったのでした。ソレッキリでした。私は何らかの連絡があるものと思っていました。

そうして何億もの負債額がのし掛かり私は母子家庭となり子供の父は昭和の時代を彼なりに工夫して生きたのだった。

日本は周りの国に相当嫌われてるなんて確り知らなかった私でした。

2019年3月3日の日曜日の会話後には此のような考えは浮かばなかったのでした。

先程、記述のような考えに至りました。3月5日の4時過ぎに記述した考えになったのでした。