ガラケーで写したのです。

祖父徳太郎の髭を生やしている晩年の写真は私の幼少時代には祖父の長女一家の写真も有った。その内に其は紛失した。

明治4年生と明治7年の誕生の祖父母の写真は農家だったし戦争に三度も赴いて父が不在で跡取り孫を一晩で亡くした祖父母と腹違い姉と父の先妻の日々の生活は想像すら辛くなった私でした。

戦中戦後の日本で明治4年生で古知野で産まれてアノ地域の歴史も知らない祖父は祖母と好き同士になり八人の子宝に恵まれた。そして親類筋で夫婦になる慣わしをアノ土地生まれの父の姉の婿I▪Tさんから教えて貰った。

そうして私の父と母は戸籍上は同じ姓になったのでした。

母は祖父母の養女に戸籍上なったのです。私は母の子供として役場に記されたのでした。母が「オレの子供」として役場窓口に申請したのでした。私は父が無い庶子として昭和24年に役場に記載されたのでした。出生届けを母が出したのでした。姉は父が届けたので認知された子として役場に記載されたのでした。